夢で未来が見える?スピリチュアルな感覚のはじまりは高校の授戒会だった

高校時代、仏教系の高校に通っていた私は、知恩院での授戒会に3日間参加しました。
当時は、修行という言葉も、仏弟子という存在も、まだ“自分とは遠いもの”に思えていました。

けれど今思えば

私の中で静かに何かが目を覚まし始めていたのかもしれません。

夢で未来を見たり、直感が冴えたり、不思議な一致が重なる日々。

それらはすべて、魂が仏と出会い、名前を授かり、仏弟子となったあの日から始まっていたのだと、今になって強く感じています。

高校時代に体験した授戒会の3日間

私が高校2年生だった頃、仏教系の私立高校に通っていた私たちは、ある特別な行事に参加することになりました。
それが、京都・東山にある知恩院での「授戒会」です。

授戒会とは、仏弟子としての戒(かい)を受け、心を清めるための修行のようなもの。
しかも私たちの代は、三校合同で行われ、知恩院の広大な空間に、制服姿の高校生がずらりと並ぶ光景は今でも忘れられません。

知恩院に3日間、毎朝通って行う修行

宿泊はしませんでしたが、3日間、朝から知恩院に通い、1日中、説法を聞いたり、正座でお経を唱えたりという日々。
座ったまま脚がしびれることもあり、当時は「えらい行事に来てしまったな…」なんて思っていた記憶もあります。

でも、あの静けさ。張り詰めた空気・・・。
周囲の音が一切消えたような不思議な時間の中で、「何か見えないものとつながっている」ような感覚が、ほんの少しだけ胸に残ったのも事実でした。
当時はオーバーツーリズムなんて言う言葉もなく、平日の知恩院には静かな時間が流れていました。

今思えば、すべてはあのときから始まっていたのかもしれない

あのときはただの行事として受け止めていた授戒会。
でも今思えば、私の中で目覚め始めた感覚や気づきは、あの日から始まっていたのかもしれません。

のちに起こるさまざまな不思議な出来事・・。
未来を予知するような夢、誰かの気持ちがふと伝わる瞬間、導かれるような偶然の重なり。

あれはきっと、仏弟子としての扉が、あの日ゆっくりと開いたからだったのかもしれない。
今ならはっきりと感じることができるのです。

戒名『良瑞』を授かった瞬間

授戒会の最終日。
静寂に包まれた知恩院の広い空間に、また私たちは整然と並び、厳かな雰囲気の中で最後の儀式が始まりました。

あの時の空気は、今思い返しても特別でした。
張り詰めた静けさの中に、どこか温かく、やさしい何かが漂っていた気がします。

そして、その儀式の最後に、私たちは一人ひとり、仏弟子としての戒名を授かることになりました。
私のもとに渡された紙には、こう書かれていました。

『良瑞(りょうずい)』

正直なところ、その瞬間はまだ、名前の意味や重みについて深く考えることはありませんでした。
でも、どこか心にすっと入ってきたような感覚がしました。

年月が経ち、スピリチュアルな気づきが増えるたびに、私はこの『良瑞』という名前に何度も立ち返ることになりました。

『良瑞』という名前に込められたエネルギー

『良』は、善きこと、調和、まっすぐな心。

『瑞』は、吉兆、祝福、天からのしるし。

それはまさに、これまでの人生で私に起こってきた未来を感じとる夢や、導かれるような直感ともリンクする言葉でした。

授戒会でこの名前をいただいたあの日、私はただの高校生だったけれど、仏さまに「魂の名前」を与えられたような、そんな不思議な感覚が、今は確かに胸の奥に残っています。

大人になってから気づいた『魂の目覚め』

高校時代に授かった『良瑞』という戒名。
その名前の意味に気づいたのは、ずっと後になってからのことでした。

日々の生活の中で、ふとした瞬間に感じる「違和感のない直感」。
初めて訪れる場所なのに、なぜか知っているような感覚。
そして、時折見てしまう、現実と寸分違わぬ鮮明な夢

それがただの偶然だと思っていた頃もありました。
でも、そういった出来事があまりにも重なりすぎていることに気づいたとき、私は思ったのです。

「あれ? もしかして、私……未来を少しだけ、先に見ている?」

その気づきは、自分の中で「カチッ」と何かが合わさったような感覚でした。

現実とリンクした夢の数々

ある日、夢の中で車のタイヤがパンクする映像を見ました。
朝起きたとき、妙にリアルで、なんとなく胸騒ぎがして車をチェックすると、本当にタイヤに釘が刺さっていたのです。

ほかにも、誰かのことを考えた数分後にその人から連絡が来たり、くじ引きで引く数字が、夢で出てきていたり。

こうした出来事は、気のせい偶然では片付けられない何かを持っていました。
それらはすべて、私にとっての「魂の目覚めのサイン」だったのだと思います。

お坊さんから告げられた『使命の言葉』

そんなある日、お坊さんに出会いました。
その方は私の話を聞くなり、こう言いました。

『あなたはずっと先の未来まで見える人です。』
『神仏に直接会いに行き、メッセージを受け取っています。』

その言葉を聞いた瞬間、驚きと同時に、どこかで納得する気持ちがありました。
あの高校時代の授戒会で仏弟子としての戒名をいただいた日から、私の魂は、すでに神仏とつながる準備が整っていたのかもしれません。

『良瑞』という名前に込められたエネルギー

戒名として授かった『良瑞』という名前。
それは、単なる仏教的な儀式の一環ではなく、私の魂に刻まれた本当の名前だったのかもしれません。

当時は深く考えていなかったけれど、大人になってスピリチュアルな感覚が強くなるにつれて、何度もこの名前の意味に立ち返るようになりました。

『良』には、善きこと・正しさ・調和・誠実さなどの意味があります。
『瑞』には、吉兆・めでたいしるし・選ばれしものに与えられる玉といった意味があります。

この2文字が重なった名前は、
まるで

『善きしるしを受け取り、人に伝える存在』
『吉兆を受けとるアンテナを持つ者』

そんな意味が込められているように感じられました。

名前が教えてくれた私の役割

タイヤの夢が現実になる。
誰かの心の奥が、言葉を超えて伝わってくる。
人に会う前から、その人の状態がなんとなくわかる。

そういった体験が続くうちに、私はふと気づきました。
これは『特別な力』というよりも、もしかすると

「もともと、私に与えられていた役目」だったのかもしれないと。

『良瑞』という名前には、
きっと「あなたはそれを受け取り、必要な人に渡していく人なんだよ」という神仏からの合図が込められていたのでしょう。

どうやってこの感覚を育てていくか

お坊さんに『未来が見える人』と言われたとき。
どこかで『そうかもしれない』と思う自分と、『でも、それを意識しすぎたら逆に鈍くなる気がする』という感覚もありました。

たしかに、当てようと意識した瞬間に直感は鈍る。
だからこそ、私は自然に感じることを大事にしたいと思っています。

無理をせず、ふとした瞬間に届くものに気づけるような日々の過ごし方。
それが、今の私にとっていちばんしっくりくる『感覚の育て方』なのです。

意識を静かに保つ『無の時間』

日々、情報に囲まれていると感覚はだんだんと鈍ってしまいます。
だから私は、スマホやテレビを消して、ただ静かに空を見たり、植物に触れたりする時間を大切にしています。

短くてもいい。
1日5分でも心を『からっぽ』にする時間があると、不思議とインスピレーションが湧いてきたりします。

夢の中から届くメッセージに気づく

私にとって、夢はただの睡眠中の映像ではありません。
時に、未来の出来事がそのまま映し出されることもあります。

だから、気になった夢はなるべく周りの人に話すようにしています。
私はすっかり忘れていても、その出来事が起こったとき周りの人から「あの夢の話…本当になったね。」と言ってもらえることがあります。

夢は、意識がいちばん無防備になっている時間。
そこに届くメッセージは、とても純度が高いように感じます。

自分の波動を整えるための小さな習慣

感覚が鋭くなるほど、他人の感情や空間の気を受けやすくなります。
だから私は、自分の波動を整えるためにいくつかの習慣を持つようになりました。

たとえば

  • 塩風呂にゆっくり浸かる

  • リラックスできるアロマを焚いて深呼吸する

  • 自然の中を歩く

  • 寺社仏閣を巡ったり、護摩焚きに参加したりする。

どれも、特別な道具はいらないけれど、心が『自分の場所』に戻れる時間です。
この静かな時間があるだけで、感覚のアンテナがクリアになっていくのを感じます。

これからの私の歩みと伝えていきたいこと

これまでの人生で、いろんな出来事がありました。
人間関係、家族のこと、自分自身の迷い……
ときには、心が折れそうになったこともあったけれど。

ふとした夢で未来を先に見たり。
偶然のように見えて、ちゃんと意味があった出来事が続いたり。
思い返せば、そのすべてが私の中にある『何か』を育ててきたように感じています。

『良瑞』という名前を授かったあの日。

それは、まだ気づいていなかった私自身の本質を仏さまがそっと教えてくれた瞬間だったのかもしれません。

救うんじゃなくて、寄り添う

私は、誰かを救うことがしたいわけではありません。
ただ、『そういう感覚、私にもあるよ』と伝えることで、誰かの孤独や不安が、少しでも軽くなればいいなと思うのです。

これからの私は、仏弟子として、でも型にはまらず。
見えない世界から届いた気づきや、ふとしたメッセージを、必要な人にそっと渡していきたいと思います。

それが『良瑞』として、私に託された役目なのかもしれません。

ブログを通して伝えていきたいこと

このブログでは、夢で見たこと、直感で感じたこと、そして人生で起こったちいさな気づきを、少しずつ書いていこうと思っています。

スピリチュアルな話が好きな人にも、ちょっと半信半疑な人にも、届く言葉があるといいなと願いながら。
読んでくれた誰かが、『これって私にもある感覚かも』と思ってくれたら嬉しいです。

そして、あなたの中にも眠っている何かが目を覚ますきっかけになりますように。

誰にも言えない悩み。
どうしようもなく心が沈む日。
誰かにわかってほしいけど、どう伝えていいかわからないもどかしさ。

あぱちゃん
そんな思いを抱えている人たちの声に、耳を傾けたくて。
私は『上級心理カウンセラー』の資格を取りました。

見えないエネルギーや直感が教えてくれること。
それもとても大事。
でも、現実に苦しむ心には、ただ話を聞いてくれる誰かの存在が必要なこともある。

私が発信する言葉が、ほんの少しでも誰かの『今日を乗り越える力』になれたら。
ブログを読んでくれた人が、『ここに来ると、ほっとするな』と思ってもらえたらいいなと思っています。

その思いを胸に、これからもやさしく、静かに、伝えていきたいです。

『スピリチュアルも、心理も、両方の視点から。』


それが今の私の、いちばん自然な在り方です。