許すって、結局どういうこと?
「許す」という言葉は、よく耳にするものですが、
実際に誰かを本当に許すというのは、思っている以上に難しいことだと感じます。
できれば許したくないと思ってしまうことや、どうしても気持ちの整理がつかないこともある中で、
私はこれまでの人生の中で、少しずつ「許すことの意味」について考えるようになりました。
私自身は、比較的「人を許すことができるタイプ」だと感じています。
けれどそれは、心が広いとか、優しすぎるからというわけではありません。
ただ、「過去・今・未来を切り分けて考える」という習慣あるからかもしれません。
起こった出来事は過去のもの。
それをいつまでも心に留めておくより、今この瞬間や、これから訪れる未来を大切にしたいという想いが、私の中にあるのだと思います。
『許せない!』という感情が生まれるのは自然なこと
「許す」という行為は、簡単にできるように思えて、実はとても繊細で難しいものだと感じます。
たとえば、誰かの言葉に深く傷ついたときや、心の中に「許せない」という強い感情が生まれるのは、とても自然なことです。
人の心はとても正直です。
悲しいことがあれば涙が出ますし、理不尽さを感じれば怒りも湧きます。
「許せない」という気持ちを抱えることに、罪悪感を持たなくても大丈夫です。
その感情を無理に押さえ込む必要もありません。
まずは、そう感じた自分の気持ちに、寄り添ってあげることが大切だと思います。
「本当は許したいのに、できない」
そんな葛藤があるときは、つらいものです。
今はただ、「私は今、許せないと感じているんだな」と、自分の心に気づいてあげるだけでも、心が落ち着いていくことがあります。
人それぞれ、心の動き方は違います。
傷の深さや立ち直るまでの時間も、それぞれに違っていて当たり前です。
だからこそ、「許す」という言葉に急かされるず、まずは自分の感情をそのまま受け止めることが、大切なのではないでしょうか。
私は『人を許す』ことが自然にできるタイプ
「許すことができない」と感じるのは自然なことですが、私はどちらかというと、誰かを許すことがあまり苦ではないタイプだと感じています。
もちろん、何かをされた直後は心がざわついたり、悲しみが残ることもあります。
すぐに笑顔に戻れるわけではありませんし、「許そう」と努力しているときもあります。
それでも、ある程度時間が経つと、「もういいかな」「あれはあれで仕方なかったのかもしれない」と、
自然に気持ちが落ち着いていくことが多いのです。
私は昔から、人の気持ちを想像することが好きでした。
「なぜこの人は、あのときあんな言い方をしたのかな」
「もしかしたら、この人も何かしんどいことを抱えていたのかもしれない」
そんなふうに、その人の背景を思い浮かべることで、自分の心が和らいでいく感覚があります。
それは決して、相手を甘やかすということではありません。
ただ、怒りや悲しみの感情を抱え続けるよりも、気持ちを整理して、前に進むほうが自分にとって楽だと感じていました。
また、「許すこと」は、相手のためにすることのように思われがちですが、
実は私にとっては、自分自身を守るための手段でもあります。
過去の出来事に心が縛られたままでは、日々の生活にゆとりがなくなってしまいますし、心の中にずっと重たい気持ちがあると、笑顔になるのも難しくなってしまいます。
誰かの言葉や態度に傷ついたときでも、
「この感情をいつまでも持ち続けるより、手放してしまったほうが心が楽になれる」
と思い、少しずつ気持ちを整えていくようにしています。
完璧に許せているかどうかは、正直わかりません。
けれど、許そうとするその姿勢が、自分を少しずつ癒してくれているのだと思っています。
『過去』『今』『未来』を切り離すという考え方
私が誰かを許すとき、心の中でそっと大切にしている考え方があります。
それは、『過去』『今』『未来』を、それぞれ別の時間として捉えるということです。
過去に起きたことは、たしかに消せない出来事です。
傷ついたこと、悔しかったこと、どうしても納得できなかったこと…。
そういった思い出が、ふとした瞬間に心をよぎることもあります。
でも、それはあくまでも「過去の出来事」です。
今はもう、その場面とは違う時間が流れています。
目の前にいる相手が、昨日とまったく同じ気持ちでいるとは限りません。
むしろ、昨日より少しやわらかくなっていたり、反省している様子が見えたりすることもあります。
だから私は、なるべく「昨日の出来事」を「今日の相手」に重ねないようにしています。
「昨日のあの人」と「今日のこの人」は、同じようでいて、どこか違っているかもしれないからです。
そして、未来はまだ白紙の状態です。
これからどんな関係を築いていくのか、どんな出来事があるのかは、今の私たちの選択で変わっていきます。
過去にとらわれすぎると、「今」も「未来」も苦しくなってしまいます。
けれど、「あれはあのときのこと。今は今」と切り分けて考えることができれば、心に少しだけゆとりが生まれて、前を向きやすくなるのです。
もちろん、すぐに切り替えることが難しいときもあります。
けれど、「意識してみよう」と思うことだけでも、心の持ち方は変わってくると感じています。
『過去』『今』『未来』は、それぞれ別のもの。
だからこそ、過去に縛られずに、今を大切にする。
その考え方が、私にとって「許す」ということをしやすくしているように思います。
. 『ごめん』と言われたら、もちろん許す。でも…
誰かが「ごめんね」と言ってくれたとき、
心がふっと軽くなることがあります。
その一方で、謝られないまま過ぎていく出来事もあります。
そんなとき、私はどのように気持ちと向き合っているのか、自分なりの経験を交えてお話ししてみたいと思います。
謝ってもらえると、心はふっと軽くなる
誰かから素直に「ごめんね」と言われたとき、私の心はふっと軽くなります。
それまで胸の奥に引っかかっていたものが、ほどけていくような、そんな感覚です。
謝罪の言葉には、人と人との関係を整える力があります。
たとえほんの一言でも、「悪かった」と伝えてもらえることで、その人の気持ちを感じることができて、わだかまりが少しずつとけていきます。
もちろん、すぐに全部を忘れられるわけではありませんが、「わかってくれた」という安心感があると、心が癒されていくのを感じます。
謝られなくても、私は心の中でそっと手放す
けれど、現実にはいつも謝ってもらえるとは限りません。
相手が自分の言動に気づいていないこともあれば、気づいていても何も言わないまま、時間が過ぎていくこともあります。
そんなとき、心の中ではもやもやが残ったままになります。
「謝ってくれたら許せるのに」
「何もなかったふりをして、ずるいな」
そんな思いが湧いてくることもあります。
けれど私は、相手からの言葉を待ち続けるよりも、自分の中で「これはもう昨日のこと」と、そっと手放すようにしています。
なぜなら、その気持ちを持ち続けることの方が、自分にとってしんどくなるからです。
謝ってもらえなかったことは残念だけれど、それ以上に、私の毎日がその感情に振り回されてしまうことのほうがつらいと感じます。
許すことは、相手のためではなく、自分のために
「許すこと」は、決して相手のためだけにするものではありません。
むしろ私にとっては、自分の心を守るための大切な選択です。
過去の出来事をずっと握りしめたままでは、心に余白がなくなってしまって、新しい気持ちや日々の小さな幸せを受け取ることもできなくなります。
だから私は、相手がどうであれ、自分の中で「もういいかな」と思える瞬間をつくるようにしています。
それは妥協でも諦めでもなく、自分の心にとって必要な「やさしさ」なのだと思います。
誰かを許すということは、相手を肯定するというより、自分を大切にするということ。
そう思えるようになってから、私は少しずつ、心が自由になっていった気がしています。
相手は謝ってきたのですが、娘の中ではどうしてもその言葉を受け入れることができなかったようで、「許せない」と泣きながら話してくれました。
私は無理に「許してあげなさい」とは言いませんでした。
でも、心のどこかでこう思っていました。
たとえ本当に根っこから許せなかったとしても、『許す』という選択をすることで、自分の心が少し楽になれることもあるのではないかと。
そして、学校での生活ももっと楽になるのではないか…と。
許すことは、決して相手を正当化することではありません。
その出来事に自分なりの区切りをつけることで、心に新しい風が通ることがあるのです。
自分のタイミングでそう感じられる日が来るといいなと思います。
誰かを許すことが、自分自身を癒すきっかけになることがあるのだと、伝えていきたいです。
過去と今を『ごちゃまぜ』にしないために
過去にあった出来事を、いつまでも心の中に引きずってしまうことがあります。
でも、その出来事と、今目の前にいる相手の姿が、必ずしも同じとは限りません。
だからこそ私は、できるだけ「今この瞬間」に意識を向けるようにしています。
そのために心がけていることを、少しだけお話ししてみたいと思います。
昨日のその人と、今日のその人は違うかもしれない
人との関係の中で、一度起きた出来事が心に引っかかって、その相手に対する印象がずっと変わらないままになってしまうことがあります。
「前にあんなことを言われたから」「あのときこんな態度だったから」
そう思うたびに、過去の記憶が現在の相手に重なり、心が固まってしまうのです。
でも、私はできるだけ、過去のその人と、今目の前にいるその人を、切り離して見るようにしています。
昨日の出来事は、確かに事実としてそこにあります。
けれど、時間が流れる中で、人の心や気持ちは変わっていくものです。
あのときの言葉や態度を、今日もそのまま持ち続けているとは限りません。
人は完璧ではありません。
間違えたり、感情的になったり、うまく気持ちを伝えられなかったりすることもあります。
だからこそ、「あのときのままの相手」ではなく、「今この瞬間の相手」を見ようとする気持ちが、自分自身の気持ちを少し和らげてくれるのだと思います。
『あれはあれ、これはこれ』と意識的に分ける
「あれはあれ、これはこれ」
これは、自分の中で気持ちを切り替えるためのおまじないのようなものです。
過去の出来事を思い出すとき、そのとき感じた怒りや悲しみも一緒に浮かんできます。
その感情に引きずられそうになったとき、
「今の私は、あのときと同じ気持ちではない」
「相手も、あのときと同じ人ではないかもしれない」
そうやって、過去と今を区切ってあげることで、心に少しずつ余裕が生まれていきます。
もちろん、すべてを簡単に割り切ることはできません。
人との関係には、そのときの空気や背景、言葉にできない感情が複雑に絡み合っています。
けれど、それでも「過去は過去、今は今」と意識するだけで、気持ちが少しスッキリする気がします。
過去に縛られず、今を見つめること。
その積み重ねが、相手との関係だけでなく、自分自身の心の在り方にもつながっていくように思います。
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旦那とのケンカも「昨日は昨日、今日は今日」
日々の暮らしの中では、ほんの些細なことで心がすれ違うことがあります。
特に家族という近い存在ほど、思っていることを何でも口にしてしまったり、相手の一言で大きく傷ついてしまったりすることもあるのではないでしょうか。
私も、夫との間でぶつかってしまうことがあります。
そんなときこそ、「昨日は昨日、今日は今日」という考え方を意識するようにしています。
その習慣が、私たちの関係を保ってくれているように感じています。
感情が揺れた日も、次の日になれば『新しい今』が始まる
夫との関係は、良いときもあれば、正直に言えばうまくいかない日もあります。
つい言い過ぎてしまったり、うまく伝えきれなかったりして、お互いに感情的になってしまうことも少なくありません。
そんな夜は、気まずさを残したまま眠りにつくこともあります。
でも、朝が来たときに、思うのです。
「今日はまた、新しい1日が始まるんだ」。
昨日の出来事が、完全に消えてしまうわけではありません。
でも、新しい1日である今日という時間に、少し目を向けてみるだけで、気持ちが少し、軽くなるような気がします。
感情は波のようなもので、ずっと怒り続けたり、悲しみ続けたりすることはできません。
時間が経つと、少しずつ、心が落ち着いていくのを感じます。
だからこそ私は、「今日は今日」と、今に意識を向けるようにしています。
今、目の前の人をもう一度見直してみる
昨日、どれだけ言い合いをしたとしても、今日の夫が、いつも通りにご飯を食べて、何気ない会話をしている姿を見ると、「もう、あれは昨日のことだったんだ」と思えるようになります。
もちろん、心の中にはまだモヤモヤが残っていることもあります。
でも、ずっとその感情にとらわれているよりも、今目の前にいる相手を、もう一度新しい目で見直してみることのほうが、私にとっては大切だと感じるのです。
その人が、今は少し穏やかなら、私は今を信じてみたいと思います。
「今日の相手」を見て、また新しい関係を築いていこうと思うのです。
家族というのは、不思議な距離感の中にある存在です。
何があっても切れないような、でも時に遠く感じるような。
だからこそ、過去の出来事ばかりにとらわれず、「今」を重ねていくことで、関係は少しずつ変わっていくのではないかと思います。
許すことは、自分を自由にする選択
「許す」という言葉は、ときに重たく感じられることがあります。
それは、相手を受け入れることや、すべてを水に流すことだと勘違いしてしまって、「そんなふうには思えない!」と心が拒否してしまうこともあるかもしれません。
けれど私にとっての「許す」とは、誰かのためにする行為ではありません。
むしろ、自分の心を楽にし、自分自身を縛りから解放していくための選択です。
そんなふうに考えるようになってから、「許す」という行動が少しずつ変わっていきました。
許さない気持ちを持ち続けるのは、自分の中に棘を抱えるようなもの
誰かに傷つけられたとき、その相手のことを忘れることができずに、ずっと心の中でその出来事を繰り返し思い出してしまうことがあります。
「どうしてあんなことを言ったのだろう」
「なぜ私ばかりが、こんな思いをしなければならなかったのか」
そんな気持ちを持ち続けていると、やがてその出来事自体よりも、それに対する自分の感情のほうが、心を重たくしてしまうことがあります。
私はそのことに、あるときふと気づきました。
「許せない」と思い続けることは、自分の中に痛みを抱えたまま、毎日を過ごすようなものだったのです。
その抱えた痛みが、思いがけない場面でチクリ。
笑顔で過ごしたいと思っていても、ふとした瞬間に心が沈んでしまう。
そのたびに、私は自分で自分を苦しめていたのかもしれません・・・。
許すことは、心に風を通すような感覚
そんなとき私は、「このままでは自分がしんどくなってしまう」と感じ、少しずつ、過去の出来事を手放すことを意識するようになりました。
「許す」というよりも、「抱えていたものをそっと置いてみる」ようなイメージです。
それは簡単なことではありませんが、心の中の隙間を取り戻すような感覚でもあります。
怒りや悲しみが完全になくなるわけではありません。
でも、それらに心を占められすぎないようにすることで、自分自身の気持ちが少しずつ軽くなっていくのを感じました。
誰かを許すということは、自分の心に「もう、ここまでで大丈夫だよ」と声をかけてあげるようなものかもしれません。
許すことは、未来へのプレゼント
誰かを許すということは、過去の出来事に区切りをつけるというだけでなく、これからの自分の人生に、新しい風を送り込む行為でもあると感じています。
心にずっと抱え続けていたものを手放すことで、その分だけスペースが生まれ、そこに新しい気持ちやつながりが入り込んでくる。
許すことは、自分を癒すだけでなく、未来を開く準備のようにも思えるのです。
『空白』があるからこそ、新しいものが入ってくる
私たちの心は、ずっと何かでいっぱいのままではいられません。
怒りや悲しみ、不安や後悔などが心を占めていると、やがて息苦しさや疲れとなってしまうことがあります。
でも、少しだけでも「許してもいいかもしれない」と思える瞬間があると、その感情がやわらぎ、心に空白が生まれます。
その空白は、やがて安らぎや希望といった感情で満たされていきます。
許すという行為には、過去をなかったことにする力はありません。
でも、私たちは生きている限り、過去をそのまま抱え続けるのではなく、未来へつなげていくことをしなければならないと思います。
「もういいかな」と思ったとき、心にスペースができたなら、そこにまた新しいご縁や、心の平穏が訪れるかもしれません。
今この瞬間を大切に生きていきたい
過去の出来事にとらわれすぎると、今が見えなくなってしまいます。
そして、今を大切にできないと、未来はいつまでたっても不安なままです。
だからこそ私は、できるだけ「今この瞬間」に目を向けるようにしています。
誰かと笑い合ったり、ふとしたことで癒されたり、幸せを感じられる時間を、味わっていきたいと思っています。
許すことは、完璧な心の整理ではありません。
けれど、過去の出来事を手放せたとき、また未来が少しだけ明るく開けていくように感じました。
私はこれからも今を大切に生きていきたいと思います。
おわりに:許すことは、心を軽くするためのひとつの選択
「許す」ということは、とても大変な行為だと思います。
怒りや悲しみ、心の奥に残った感情は、無理に押し込めようとすればするほど、重たく感じてしまいます。
けれど、少しの勇気で「もう手放してもいいかもしれない」と思えたとき、そこには解放が訪れます。
許すことは、過去をなかったことにすることでも、相手を正当化することでもありません。
それは、自分自身の心を自由にすること。
そして、これからの未来を歩いていくための方法のひとつかもしれません。
誰かを許すことに迷ったとき、無理に答えを出さなくてもかまいません。
その出来事をどう受け取るかは、自分だけのペースで決めていいのです。
でも、もし少しだけでも心を自由にしたいと思えたなら、「許す」という選択肢で、明日を少し違う気持ちで迎えられるようになるかもしれません。
あなた自身の心にとって、心地よい選択ができますように。